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2010年05月16日

鎮西探題

5月16日、中央市民センターで開催された福岡地域史講座
「元寇後の城郭都市 博多と鎮西探題」を聴講してきました。

鎮西探題とは、、鎌倉時代に幕府が九州の統括のために設置した機関。
1274年(文永11 年)、1281 年(弘安4年)の元寇の後に設置されたそうです。

講師は、元寇研究会会長の佐藤鉄太郎氏。

鎮西探題が、博多のどこにあり、どのような構造だったのか、
色々な書物を紐解きながら、お話を繰り広げて頂きました。

この日のまとめの当時の博多の推定図です。※ クリックすると、拡大表示します。

櫛田神社と、承天寺、聖福寺の間、今の東長寺のあたりでしょうか?
大博通り沿いに、”奥の堂”というバス停がありますが、
当時、奥堂屋敷があったそうです。

時代の流れと、街の移り変わり。
もしタイムマシーンがあれば、当時の様子を覗いてみたいものです。  


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Posted by よかろうもん! at 23:27Comments(0)歴史・神社・仏閣

2008年03月01日

福岡城に天守閣を!


福岡市美術館で開催された、

 福岡城シンポジウム 「福岡城に天守閣を!」

を聴講してきました。

皆さん、福岡城に天守閣はあったと思いますか?

以前、ブログ(福岡城の天守閣、あなたはある派?ない派?)にも書きましたが、私は”ある派”です!

天主台に立ち、当時のそこからの光景を思い浮かべると、このお城を造って、天守閣を造らないわかがないと思えてきます。

私の意見は、当てにならない単なる希望的観測ですが、
それを具体的に立証することを研究されている第一人者の九産大の佐藤教授から、
”福岡城に五重層の天守閣があった”という根拠を、説明頂きました。

聞いた話をちょっとだけ書くと、

■「1607年 材木業者の出入りが禁止された」という年表がある!

 福岡城は、慶長5年(1600年)の関が原の戦いの後、黒田孝高(如水)・長政が
 豊前中津から筑前名嶋に入り、その翌年の慶長6年(1601)から7年を掛けて
 築城されます。

 天守閣は、当時建設されたが、元和5年(1620年)、福島正則が広島城の石垣を
 工事した際に、幕府から処罰されたのを受け、その翌年の元和6年(1621年)に、
 長政は天守閣と石垣を崩したとされています。(1614年の大阪夏の陣の際に、
 造反を怪しまれた長政は、福島正則らと共に、江戸に監禁されるのですが、
 福島正則への処罰をみた長政が、幕府への忠誠を示すためだったそうです。)

 崩されるまで、天守閣が存在していたことを示すのが、1607年の木材業者の
 出入りを禁止したという記録で、1607年に完成したことで、軍事機密の多い
 城内への入出管理を強化したのではという見解ができるそうです。

■ 細川日記や、文書に天主があった記載がある!

 年代がわかる日記や、手紙が第一級の資料なのだそうですが、熊本藩の
 細川日記に、天主があったことを示す記載があったり、黒田藩の文書にも
 同様に天主があったことを示すものがあるそうです。

また、天主台の大きさから、建物の高さも割り出せるそうで、
地上6階建てで地下1階の五重層の大天主があったとの見解を示されました。

昨年は、福岡城、熊本城共に築城400周年記念の年でしたが、
熊本の盛り上がりと比べると、福岡はなんと盛り上がりに欠けたことか・・・。

天守閣の在ると無いとで、こうも意識に差があるのかと感じます。

現在、NPO法人 鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会を中心に、
天守閣を復元し、城のある街を目指して、市民運動が起こされています。

あの天主台にそびえる天守閣が復元される日も遠くないかも知れません。  


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Posted by よかろうもん! at 23:27Comments(0)歴史・神社・仏閣

2007年03月11日

禅のこころと博多の未来を語る



今日は、「禅のこころと博多の未来を語る」と題して、
聖福寺の細川白峰(びゃくほう)住職と、JR九州の石原社長が
対話するトークイベントを聴講してきました。

主催は、NPO法人「博多の歴史と文化の寺社町ネット」。
昨年5月に設立され、まだ認知が進んでいるとは言えない博多の
歴史や文化の価値を高め、知らせていく活動をされています。

内容は、聖福寺の歴史や特徴、禅や修業、僧侶の生活などの話から、
4年後の九州新幹線の全線開通に合わせたJR博多駅の改築の状況、
JR博多駅と、寺町界隈が近いながらも分離されている現状を
今後とどうしていくべきかなど、とても興味深い内容でした。

博多では、昭和32年に大きな区画整理がされました。
JR博多駅も、以前あった祇園付近の場所から、昭和39年に
現在の場所に移設されています。

この当時、日本は高度経済成長の時代で、経済発展に主眼が
おかれた区画整理が行われ、承天寺は本堂と、仏殿の間を
道路によって分断されるという事態になってしまったようです。
聖福寺も、同じ状況になりかねなかったのですが、史跡に指定
されたことを盾に、住民からの声があがり、分断を免れたそうです。

JR博多駅の改築に伴い、4年後には、博多駅周辺も一変するでしょう。
以前の区画整理とは逆の、歴史や文化を地域づくりに生かした
変化を期待したいものです。

会場は、聖福寺の本堂でした。聖福寺は、日本最初の禅寺と知られ、
今でも修行のための専門道場なので、一般の人が本堂内に入る機会は
滅多にありません。

帰りにこれ幸いにと、墓所にも立ち寄ってきました。

お目当ては、



以前、ブログにも取り上げた福岡で唯一の総理大臣、広田弘毅さん
お墓です。墓石には、妻シズさんの名前も記されていました。  


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2007年01月25日

博多・聖福寺の羅漢さん展

博多・聖福寺の羅漢さん展

福岡市博物館で、「博多・聖福寺の羅漢さん展」が開催されています。

聖福寺は、博多区御供所町にあるお寺で、建久6年(1195年)に開かれた
我が国最古の禅寺です。開山は、禅宗の祖と呼ばれる栄西。開基は源頼朝。

禅寺としての伽藍配置がよく保存されており、国の史跡に指定されています。

境内には、後鳥羽天皇の勅額「扶桑最初禅窟」が掛けられていることで
知られる山門があるのですが、この山門の楼上に、「千手観音立像」と、
「十八体の羅漢像」が安置されていることは、あまり知られていません。

福岡市指定文化財にも指定されています。

この滅多に見れない「千手観音立像」と、「十八体の羅漢像」が、
現在行われている山門の改修工事のため、楼上から降ろされ、
これ幸いにと、福岡市博物館で展覧会を行うことになったそうです。

おそらく、この機会を逃すと、他に見る機会はないしろものです。

展覧会は、28日(日)まで行われています。
常設展示と一緒に、たったの200円で拝観できます。

お時間のある方は、ぜひ。

羅漢像に関する詳細は、福岡市博物館で配布されていたリーフレットをご参照下さい。

  【 配布されていたリーフレット】
     ・1ページ
     ・2ページ
     ・3ページ
     ・4ページ  


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Posted by よかろうもん! at 23:43Comments(0)歴史・神社・仏閣

2006年10月30日

風神雷神



風神と雷神です。

さて、どこにあるでしょう?

答えは、櫛田神社!

拝殿の破風(はふ)にあります。



暴風雨を一緒に起こそうと風神を手招く雷神に対し、風神は、
神社の氏子の願いを聞き入れ、あっかんべーをして応じない
様子を表しているそうです。

普通、神社というと、硬いイメージがしますが、このユーモラスな木彫り。
気さくな博多っ子に、「お櫛田さん」と親しまれている櫛田神社ならではです。

行かれたときは、ぜひ見てみて下さい~。  


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Posted by よかろうもん! at 22:36Comments(0)歴史・神社・仏閣

2006年08月26日

ういろう伝来之地 ~ 妙楽寺 ~



地下鉄祇園駅の近く、御供所町にある妙楽寺の本堂前に、
「ういろう伝来の地」と刻まれた石碑があります。

元々のういろうの由来は、お菓子ではなく、薬なんです!  続きを読む


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Posted by よかろうもん! at 00:26Comments(3)歴史・神社・仏閣

2006年08月25日

旧町名の石碑



博多の町を探索すると、写真のような旧町名が彫られた
石碑をあちらこちらで目にします。

石碑には、再開発による町名整理で消えていった旧町名と
共に、由来が記されています。この石碑、廃止になった
路面電車の敷石が用いられ、現在55基あるそうです。

次回9月16日(土)の博多っ子講座のテーマは、「太閤町割りと黒田如水」。

太閤町割りは、豊臣秀吉が、博多の復興のために行った区画整理。
博多の町の変遷がいろいろ聞けそうで楽しみです。  


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2006年08月23日

鴻臚館

福岡は、奈良時代や平安時代の時から、国際交流の拠点であった。
それを語るのが、古代の迎賓館である鴻臚館だ。

  続きを読む


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Posted by よかろうもん! at 00:36Comments(0)歴史・神社・仏閣

2006年08月16日

「天神」の地名の由来 ~水鏡天満宮~

「天神」の地名の由来ってご存知ですか?
アクロス福岡の向かいにある水鏡天満宮に、由来するそうです。



水鏡天満宮は、学問の神様として有名な菅原道真公をお祀りしています。

延喜元年(901年)、菅原道真公が大宰権師に左遷されて博多に上陸の時、
四十川(現在の薬院新川)の清流を水鏡として姿を移され、 『私の魂は長く
この地に留まり、後世無実の罪に苦しむ人の守り神となろう。』
と言われたそうで、
後世、その地に社殿を建てて、水鏡天神、又、容見(すがたみ)天神といったそうです。

現在の場所への移築は、慶長17年(1612年)、黒田長政によってなされました。
それ以降、このあたり一体を「天神」と呼ぶようになったそうです。

天神という地名が、菅原道真公と関係してたなんて、
ちょっとビックリですよね。



一回目の投稿である「福岡出身の唯一の内閣総理大臣、広田弘毅」にも
書きましたが、この水鏡天満宮の鳥居の扁額は、広田弘毅さんが、幼少の
頃に書いたものです。

境内は、ひっそりとした静けさがあり、天神のオフィス街の中にいることを
忘れてしまいます。近くに寄られた際は、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

地図はこちら  


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Posted by よかろうもん! at 21:48Comments(0)歴史・神社・仏閣

2006年07月14日

東長寺



大博通りの祇園駅近くにある東長寺。

明治元年(1868年)に神仏分離令が発布されるまで、東長寺に属する神護寺が
櫛田神社を管理していたことから、山笠の際は、東長寺の前にも清道が設けられ、
追い山が舁き回ります。

東長寺は、大同元年(806年)、唐(中国)での修行を終え帰国した弘法大師空海が、
博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立。真言密教が東に長く伝わるようにという
願いを込めて「東長密寺」と名付けられました。真言宗九州教団の本山で、
弘法大師創建としてはもっとも古く、九州八十八ヵ所霊場の第一番とされてもいます。

壮大な畳敷きの本堂や、大仏殿、境内の六角堂などなど、見所いっぱいです。
ちょっと紹介しますと、  続きを読む


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Posted by よかろうもん! at 22:49Comments(1)歴史・神社・仏閣

2006年07月11日

福岡なのに何故、博多駅?

福岡市の陸の玄関口、JR博多駅。住んでいる私たちにとっては、
あまり違和感を感じませんが、東京や大阪に住んでいた頃には、
友人や先輩に、「博多ってどこにあるの?」とか、「福岡駅は?」とか
聞かれたことがあります。転勤者や、観光客には、戸惑われる方も
いると思います。
 
『福岡なのに何故、博多駅か?』

この問いに答えるには、まず、"福岡"と"博多"という2つの地名の整理から
行う必要があります。  続きを読む


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2006年07月01日

承天寺/饂飩蕎麦発祥之地

承天寺の開祖である聖一国師ネタで、
「山笠発祥之地」に続き、もう一つ。

饂飩(うどん)と、蕎麦(そば)は、中国(宋)に渡って
修行した聖一国師によって、伝えられたといわれおり、
承天寺には、「饂飩蕎麦発祥之地」の碑が立てられて
います。

  続きを読む


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Posted by よかろうもん! at 11:50Comments(0)歴史・神社・仏閣

2006年06月24日

豊国神社



奈良屋町の博多小学校近くにある豊国神社です。
神屋宗湛屋敷跡にあり、博多復興の力添えをしてくれた豊臣秀吉を祀っています。

島井宗室、大賀宗白とともに、博多商人三傑の一人である神屋宗湛は、
九州平定のために箱崎に在陣中の豊臣秀吉に願いでて、戦乱で焦土と化した
博多の復興に尽くしました。宗湛は、屋敷内に秀吉の霊を祭り、その恩に
報いたのが、この豊国神社とのことです。  続きを読む


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Posted by よかろうもん! at 23:46Comments(1)歴史・神社・仏閣

2006年06月15日

元寇防塁


西新から藤崎に向かう昭和通り沿いに、面白い名のバス停があります。
「防塁前」です。バス停を降り、海に向かって小道をしばらく歩くと、
史跡元寇防塁があります。

元寇防塁、ご存知ですが?  続きを読む




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Posted by よかろうもん! at 01:44Comments(2)歴史・神社・仏閣

2006年06月13日

福岡出身の唯一の内閣総理大臣、広田弘毅

広田弘毅さんをご存知ですか?

唯一、福岡出身で、内閣総理大臣になった方です。

戦時中、首相、外相を歴任し、戦争防止に努めながら、
暴走する軍部を抑えきれず、東京裁判にて、文官として
ただ一人、A級戦犯となり、絞首刑を宣告されました。

裁判に於いては、減刑を求める署名活動も起きる中、
一切の弁解をせず、自分を守ることより、他の人の罪を
追求することを避け、全ての結果を従容として受け入れ
ることを選んだそうです。

不器用で、頑固で、平和を愛し、自己犠牲の精神。
本で読んだだけですが、誇れる九州男児の象徴的な
人だったんじゃないかと思います。
(本は、「落日燃ゆ」という伝記です。お薦めです。)

戦災で、広田さんの名残りとなるものはほとんど残って
ないようですが、天神一丁目のアクロス福岡の前にある
水鏡天満宮の鳥居の「天満宮」という文字は、広田弘毅
さんが小学校一年生の頃に書いたとのことです。

(父親が石屋で、鳥居の製作を請け負ったため)

その面影を知るものとしては、福岡市美術館近くに
銅像があります。また、天神北のバス停の裏路地に、
ちっちゃな生誕の碑があります。





皆さんも、ぜひ足を運んで見られてはいかがでしょうか?
(誕生の碑は、後ろの落書きが残念でたまりませんが…)  


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Posted by よかろうもん! at 01:22Comments(4)歴史・神社・仏閣