2009年03月21日
小値賀&上五島へ(小値賀編)
ひさしぶりのアップです!
アクセス頂いた方、ずっと書いてなくてゴメンなさい!
色々な出来事や、感じたこともあったのですが、これからの事業計画の
思案中で、時間的にも、気持ち的にも余裕が持てなくて・・・。
しばらくぶりのネタですが、長崎の小値賀と上五島に行ってきました!
3月13日(金)~17日(火)の3泊4日、九州観光推進機構主催の
「第12回 観光まちづくりネットワーク」というイベントに参加したのですが、
すばらしい自然や、のんびりとした島の時間に、悶々としていた気持ちも
かなりリフレッシュすることができ、ブログに向かう気になりました。
ということで、初日。
佐世保に集合し、九州商船のフェリーなるしおで、小値賀へ出発です!
約3時間程度の船旅です。前日は、強風で全便欠航だったようで、
この日も、フェリーの入港が遅れるなど、風の影響で揺れるんじゃないかと
心配してたんですが、思ったより揺れも少なくて快適でした。
佐世保では、自衛隊のイージス艦や、米軍の船など見えました。
小値賀につき、初日は、民泊体験。
小値賀は、オーライニッポン大賞グランプリなど、今年5つも賞を受賞するなど、
今とっても脚光を浴びているんですが、その一つの理由がこの民泊。島の漁師や
農家の家庭にホームスティし、島暮らしを丸ごと体験することができます。
船が遅れたこともあり、夜8時頃の到着だったんですが、
たくさんの料理と共に、あたたかく迎えて頂きました。
この日、私がお邪魔した松永さん宅。
写真の手に持たれているのは、英語と絵で説明された資料。
外国の方が来られた際のコミュニケーションツールです。
英語はもちろんわからないそうですが、言葉が通じなくても、
お互いが理解し合おうとする気持ちがあれば、コミュニケーションもできるそうです。
翌朝、野崎島へ。
おぢかアイランドツーリズム協会の高砂さんに、島の案内をして頂きました。
江戸時代にキリシタンによって開墾が行われ、三集落があり、800人が住んでいたこの島も、昭和40年代に集団離島があり、平成に入ってから、最後の集落もこの地を離れ、400頭ほどの野生のシカが生息するだけの無人島になったそうです。
自然豊かなこの島も、金銭的収入が少なく、人が減る中で生活の不便さが増したこと、シカによる田畑への被害などが原因にあるそうです。民家や水田など、昔は人が住んでいた痕跡を巡り、人が消え、廃墟化された集落の風景を見ると、言葉にできない感情に心が覆われます。
限界集落という言葉が、時折、新聞紙面に取り上げられますが、定住人口減少の時代に突入し、農村部の過疎化・高齢化が進む今の日本。対策をこうじないと、近い将来、島に限らずとも、こういった風景が各地で起きるのではないかと、危惧されます。
カットされたようになっていますが、シカが届く部分だけ食べるので、こんな形になったそうです。こんな感じのものが、島のあちらこちらで、見受けられます。
野首(のくび)天主堂です。
明治41年、教会建築として著名な鉄川与助が初めて建てたレンガ造りの教会で、
平成元年3月に県文化財にも指定されています。
隠れキリシタンが移り住んだ野首集落。明治6年に、キリスト教が解禁され、信仰の自由を得た村民たちが、貧困の中で力を寄せ合い資金をつくり建設したそうです。昭和46年、過疎のため集団離島が行われ、170年近い集落の歴史を閉じました。島にポツンと残るこの教会は、弾圧と極貧の中で守り続けた信仰の象徴となっています。
教会の傍に、「大東亜戦争記念」と書かれた碑が。
我々は、”日本の勝利を願っています”という意思を示すために建てられたようです。戦争突入直後に作られたもので、その背景には、敵国宗教を信仰していると弾圧され、教会が取り壊されることを回避するためだろうとの話でした。
この碑ひとつを見ても、歴史を感じさせられます。
この日の宿泊場所、自然学塾村です。
町が廃校となった学校を整備した簡易宿泊施設で、野首天主堂のすぐ下にあります。
荷物を下ろし、しばし休憩。
透き通った青い海、のどかな風景、風、波の音以外は何の雑音も聞こえてこない
ゆったりとした時間。あれこれとせわしい人の世を、忘れさせてくれるひと時でした。
その後は、ピザ作り体験。
そして、魚おろし体験。
研修・意見交換会を経て、交流会へ。
夜、外にでると、目の前いっぱいに、
日頃味わうことができない真っ暗な世界が広がっていました。
現在の社会が、如何に明かりの中での生活かを感じさせられました。
長くなりましたので、続きは改めて。
小値賀の情報は、下記のサイトへ。
・ 小値賀町のホームページ
・ おぢかアイランドツーリズム協会のホームページ
アクセス頂いた方、ずっと書いてなくてゴメンなさい!
色々な出来事や、感じたこともあったのですが、これからの事業計画の
思案中で、時間的にも、気持ち的にも余裕が持てなくて・・・。
しばらくぶりのネタですが、長崎の小値賀と上五島に行ってきました!
3月13日(金)~17日(火)の3泊4日、九州観光推進機構主催の
「第12回 観光まちづくりネットワーク」というイベントに参加したのですが、
すばらしい自然や、のんびりとした島の時間に、悶々としていた気持ちも
かなりリフレッシュすることができ、ブログに向かう気になりました。
ということで、初日。
佐世保に集合し、九州商船のフェリーなるしおで、小値賀へ出発です!
約3時間程度の船旅です。前日は、強風で全便欠航だったようで、
この日も、フェリーの入港が遅れるなど、風の影響で揺れるんじゃないかと
心配してたんですが、思ったより揺れも少なくて快適でした。
佐世保では、自衛隊のイージス艦や、米軍の船など見えました。
小値賀につき、初日は、民泊体験。
小値賀は、オーライニッポン大賞グランプリなど、今年5つも賞を受賞するなど、
今とっても脚光を浴びているんですが、その一つの理由がこの民泊。島の漁師や
農家の家庭にホームスティし、島暮らしを丸ごと体験することができます。
船が遅れたこともあり、夜8時頃の到着だったんですが、
たくさんの料理と共に、あたたかく迎えて頂きました。
この日、私がお邪魔した松永さん宅。
写真の手に持たれているのは、英語と絵で説明された資料。
外国の方が来られた際のコミュニケーションツールです。
英語はもちろんわからないそうですが、言葉が通じなくても、
お互いが理解し合おうとする気持ちがあれば、コミュニケーションもできるそうです。
翌朝、野崎島へ。
おぢかアイランドツーリズム協会の高砂さんに、島の案内をして頂きました。
江戸時代にキリシタンによって開墾が行われ、三集落があり、800人が住んでいたこの島も、昭和40年代に集団離島があり、平成に入ってから、最後の集落もこの地を離れ、400頭ほどの野生のシカが生息するだけの無人島になったそうです。
自然豊かなこの島も、金銭的収入が少なく、人が減る中で生活の不便さが増したこと、シカによる田畑への被害などが原因にあるそうです。民家や水田など、昔は人が住んでいた痕跡を巡り、人が消え、廃墟化された集落の風景を見ると、言葉にできない感情に心が覆われます。
限界集落という言葉が、時折、新聞紙面に取り上げられますが、定住人口減少の時代に突入し、農村部の過疎化・高齢化が進む今の日本。対策をこうじないと、近い将来、島に限らずとも、こういった風景が各地で起きるのではないかと、危惧されます。
カットされたようになっていますが、シカが届く部分だけ食べるので、こんな形になったそうです。こんな感じのものが、島のあちらこちらで、見受けられます。
野首(のくび)天主堂です。
明治41年、教会建築として著名な鉄川与助が初めて建てたレンガ造りの教会で、
平成元年3月に県文化財にも指定されています。
隠れキリシタンが移り住んだ野首集落。明治6年に、キリスト教が解禁され、信仰の自由を得た村民たちが、貧困の中で力を寄せ合い資金をつくり建設したそうです。昭和46年、過疎のため集団離島が行われ、170年近い集落の歴史を閉じました。島にポツンと残るこの教会は、弾圧と極貧の中で守り続けた信仰の象徴となっています。
教会の傍に、「大東亜戦争記念」と書かれた碑が。
我々は、”日本の勝利を願っています”という意思を示すために建てられたようです。戦争突入直後に作られたもので、その背景には、敵国宗教を信仰していると弾圧され、教会が取り壊されることを回避するためだろうとの話でした。
この碑ひとつを見ても、歴史を感じさせられます。
この日の宿泊場所、自然学塾村です。
町が廃校となった学校を整備した簡易宿泊施設で、野首天主堂のすぐ下にあります。
荷物を下ろし、しばし休憩。
透き通った青い海、のどかな風景、風、波の音以外は何の雑音も聞こえてこない
ゆったりとした時間。あれこれとせわしい人の世を、忘れさせてくれるひと時でした。
その後は、ピザ作り体験。
そして、魚おろし体験。
研修・意見交換会を経て、交流会へ。
夜、外にでると、目の前いっぱいに、
日頃味わうことができない真っ暗な世界が広がっていました。
現在の社会が、如何に明かりの中での生活かを感じさせられました。
長くなりましたので、続きは改めて。
小値賀の情報は、下記のサイトへ。
・ 小値賀町のホームページ
・ おぢかアイランドツーリズム協会のホームページ
Posted by よかろうもん! at 13:38│Comments(2)
│観光取り組み
この記事へのコメント
随分昔に、五島出身の友人のご親族のお葬式で、一度だけキリスト教の葬儀に参加したことがあるのですが、
神父様がカタコトの日本語で、
「コ(故)、○○ハ、コレカラサキ、ヒノナカヲアルイテモ、モウ、アツクハアリマセン。
コ、○○ハ、コレカラサキ、イバラノナカヲアルイテモ、モウ、イタクハアリマセン。」
とおっしゃいました。
お葬式で悲しい場面しか見たことがなかった私は、「死」についての想いが少し変わり、とても印象に残ったお葬式でした。
その方のご先祖様も、弾圧の中、歴史を刻まれたのでしょうね・・・。
神父様がカタコトの日本語で、
「コ(故)、○○ハ、コレカラサキ、ヒノナカヲアルイテモ、モウ、アツクハアリマセン。
コ、○○ハ、コレカラサキ、イバラノナカヲアルイテモ、モウ、イタクハアリマセン。」
とおっしゃいました。
お葬式で悲しい場面しか見たことがなかった私は、「死」についての想いが少し変わり、とても印象に残ったお葬式でした。
その方のご先祖様も、弾圧の中、歴史を刻まれたのでしょうね・・・。
Posted by あさ at 2009年04月09日 01:19
> あささん
新上五島で、たくさんの教会に伺ったのですが、もう何十年も
毎朝かかさず、教会の周りを掃除されているおばあさんに出会ったり
しました。
私は、仏教徒ですが、日々の生活で、ほぼ無宗教です。
仏壇に参るも盆や正月ぐらいのもので・・・。
生活と、祈りとが密着し、人の暮らしの支えとなっている様子を
拝見し、信仰することのすばらしさを、感じました。
(2日間見て回ったぐらいだけでは、上っ面だけで、ほんとはもっと
深いものだと思いますが・・・。)
教会にも初めて入り、使われている教会には、生体ランプが
ずっと光っていることも初めて知りました。教会の中も、とても
きれいに掃除されていて、信者の方が、大事に教会を守って
いることも伝わってきました。
世界遺産にする話もありますが、観光資源として良いものかどうか、
考えさせられます。
新上五島で、たくさんの教会に伺ったのですが、もう何十年も
毎朝かかさず、教会の周りを掃除されているおばあさんに出会ったり
しました。
私は、仏教徒ですが、日々の生活で、ほぼ無宗教です。
仏壇に参るも盆や正月ぐらいのもので・・・。
生活と、祈りとが密着し、人の暮らしの支えとなっている様子を
拝見し、信仰することのすばらしさを、感じました。
(2日間見て回ったぐらいだけでは、上っ面だけで、ほんとはもっと
深いものだと思いますが・・・。)
教会にも初めて入り、使われている教会には、生体ランプが
ずっと光っていることも初めて知りました。教会の中も、とても
きれいに掃除されていて、信者の方が、大事に教会を守って
いることも伝わってきました。
世界遺産にする話もありますが、観光資源として良いものかどうか、
考えさせられます。
Posted by よかろうもん! at 2009年04月10日 00:15
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