2006年07月14日

東長寺

東長寺東長寺

大博通りの祇園駅近くにある東長寺。

明治元年(1868年)に神仏分離令が発布されるまで、東長寺に属する神護寺が
櫛田神社を管理していたことから、山笠の際は、東長寺の前にも清道が設けられ、
追い山が舁き回ります。

東長寺は、大同元年(806年)、唐(中国)での修行を終え帰国した弘法大師空海が、
博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立。真言密教が東に長く伝わるようにという
願いを込めて「東長密寺」と名付けられました。真言宗九州教団の本山で、
弘法大師創建としてはもっとも古く、九州八十八ヵ所霊場の第一番とされてもいます。

壮大な畳敷きの本堂や、大仏殿、境内の六角堂などなど、見所いっぱいです。
ちょっと紹介しますと、
東長寺

これは、創建1200年を祈念して、弘法大師空海が長安(現 西安市)で密教を学んだ
青龍寺から寄贈された記念碑です。上部に双龍、台座部分に亀があしらわれた唐時代の
代表的なデザインで「弘法大師開基 密教東漸日本最初霊場」と刻まれています。

東長寺

これは、福岡大仏です。
昭和63年より彫刻がはじまり、4年の歳月を経て完成。木造(檜)坐像では、日本一。
仏像の高さは、10.8m。重さ30トン。光背の高さ16.1m。後壁面には5000もの小仏が
あります。(※撮影禁止だったので、画像はパンフレットから読み取ったものです。)

東長寺

これは、黒田藩第二代藩主忠之公のお墓です。個人のお墓としては、徳川二代将軍
秀忠夫人のものについで全国で2番目の大きさだそうです。また、墓前に並ぶ5基の
五輪塔はこの時殉死した5名の墓碑です。(殉死した人は、もう一人いるそうです。)
また、三代藩主光之公、八代藩主治高公のお墓も忠之公と並んであります。

東長寺

これは、博多塀。櫛田神社、町屋ふるさと館、楽水園などはレプリカですが、
ここと、聖福寺の博多塀は、当時のものがそのまま残っています。

そうそう、大仏の後ろの「地獄・極楽めぐり」。
薄暗い通路の中で、地獄を描いた絵、極楽を描いた絵を見た後に、次第に
暗くなり最後には真っ暗になります。その中を手すりを頼りに進むのですが、
かなり怖いです。

ぜひ行ってみて下さい。


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Posted by よかろうもん! at 22:49│Comments(1)歴史・神社・仏閣
この記事へのコメント
東長寺に行ってみました。
大仏様の大きさにビックリしました。木造ということも。
“地獄・極楽めぐり” は本当に怖かったです。
あんなに真っ暗な世界は初体験でした。
また機会があったら行きたいです。
Posted by 東京人 at 2006年07月23日 01:04
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