2008年03月01日

福岡城に天守閣を!

福岡城に天守閣を!
福岡市美術館で開催された、

 福岡城シンポジウム 「福岡城に天守閣を!」

を聴講してきました。

皆さん、福岡城に天守閣はあったと思いますか?

以前、ブログ(福岡城の天守閣、あなたはある派?ない派?)にも書きましたが、私は”ある派”です!

天主台に立ち、当時のそこからの光景を思い浮かべると、このお城を造って、天守閣を造らないわかがないと思えてきます。

私の意見は、当てにならない単なる希望的観測ですが、
それを具体的に立証することを研究されている第一人者の九産大の佐藤教授から、
”福岡城に五重層の天守閣があった”という根拠を、説明頂きました。

聞いた話をちょっとだけ書くと、

■「1607年 材木業者の出入りが禁止された」という年表がある!

 福岡城は、慶長5年(1600年)の関が原の戦いの後、黒田孝高(如水)・長政が
 豊前中津から筑前名嶋に入り、その翌年の慶長6年(1601)から7年を掛けて
 築城されます。

 天守閣は、当時建設されたが、元和5年(1620年)、福島正則が広島城の石垣を
 工事した際に、幕府から処罰されたのを受け、その翌年の元和6年(1621年)に、
 長政は天守閣と石垣を崩したとされています。(1614年の大阪夏の陣の際に、
 造反を怪しまれた長政は、福島正則らと共に、江戸に監禁されるのですが、
 福島正則への処罰をみた長政が、幕府への忠誠を示すためだったそうです。)

 崩されるまで、天守閣が存在していたことを示すのが、1607年の木材業者の
 出入りを禁止したという記録で、1607年に完成したことで、軍事機密の多い
 城内への入出管理を強化したのではという見解ができるそうです。

■ 細川日記や、文書に天主があった記載がある!

 年代がわかる日記や、手紙が第一級の資料なのだそうですが、熊本藩の
 細川日記に、天主があったことを示す記載があったり、黒田藩の文書にも
 同様に天主があったことを示すものがあるそうです。

また、天主台の大きさから、建物の高さも割り出せるそうで、
地上6階建てで地下1階の五重層の大天主があったとの見解を示されました。

昨年は、福岡城、熊本城共に築城400周年記念の年でしたが、
熊本の盛り上がりと比べると、福岡はなんと盛り上がりに欠けたことか・・・。

天守閣の在ると無いとで、こうも意識に差があるのかと感じます。

現在、NPO法人 鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会を中心に、
天守閣を復元し、城のある街を目指して、市民運動が起こされています。

あの天主台にそびえる天守閣が復元される日も遠くないかも知れません。

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Posted by よかろうもん! at 23:27│Comments(0)歴史・神社・仏閣
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