古代官道フィールドワーク④
寒い日が続きますね。
昨日、雪のちらつくなか、
古代官道 フィールドワークが開催されました。
第4回目となる今回は、大宰府政庁跡から水城東門跡まで、大宰府官道 東門ルートの痕跡を辿るコース。前日からの雪の天気予報で、キャンセルの方も多くありましたが、20数名の方に参加頂きました。
右の写真は、出発地点の大宰府政庁跡。
すっかり雪化粧、ステキでしたよ!
ちなみに、だざいふ。点のある”太宰府”と書く場合と、点が無い”大宰府”と書く場合がありますが、違いはご存じですか?
点がある時は、現在の地名として、 点が無い場合は、歴史的に古い太宰府を指す時に使われています。意味があって使い分けられているので、ぜひ今度気にしてみて下さい。(
参考)
で、フィールドワーク。
寒さが身にしみるあいにくの天候でしたが、太宰府市教育委員会の山村さんの熱く楽しい話に、皆さん熱心に聞き入りながら、歩きました。
出発地点の大宰府政庁跡。
九州全体を治める役所として、また防衛や外国との交渉の窓口として重要な役割を果たしてきたことの話、礎石などから推測される正殿や、東西の脇楼、門などの話をしていただきました。
右の写真は、遠賀団印出土地の碑の説明を受けている様子です。
関屋の交差点にある水城小学校の中にあります。
大宰府政庁は元々、白村江の戦後の唐や新羅の進攻に備えるための軍事拠点であったため、大野城や基肄(きい)城などが築かれたように、各拠点にも軍団が配備されたそうです。
関屋という地名からもこの地が関所であったことが想定されますが、東門ルートと、大宰府条坊が交わるこの場所から、遠賀軍団の銅印が見つかったとのことです。(
参考)
それから、地元の人にもあまり知られていない国分尼寺の礎石の話や、官道を多くの人が歩いたことに由来しそうな”千足”という地名の遺跡発見の話、苅萱(かるかや)の関の話(参考
①、
②)や、菅原道真が傍らの松と石に衣を掛け着替えたという伝説がある衣掛天神、大伴旅人が詠んだ歌碑の説明などなど、いろいろなお話をして頂きました。
そして、終点の水城東門跡へ
東門では門の礎石や木樋が
見つかっているそうです。(
参考)
水城跡の景色すばらしいです。
いにしえへの思いに馳せられます。
皆さんもぜひ行ってみて下さい!
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