ういろう伝来之地 ~ 妙楽寺 ~
地下鉄祇園駅の近く、御供所町にある妙楽寺の本堂前に、
「ういろう伝来の地」と刻まれた石碑があります。
元々のういろうの由来は、お菓子ではなく、薬なんです!
妙楽寺の四世である無方和尚を頼って来福した陳延祐は、医者であり、
“透頂香(とうちんろう)”という万能薬をつくり、時の将軍足利義満に
献上していたようです。
その秘伝を子孫が受け継ぎ、先祖の官名をとり、
「外郎(ういろう)」と称して、
小田原から売り出しました。
この薬は、大変苦く、口直しに米粉で作った菓子を添えて出していました。
そのお菓子の名がいつしか
「ういろう」と呼ばれるようになりました。
それが、現在の「ういろう」です。
妙楽寺は、鎌倉時代の正和5年(1316年)、博多北浜に創建されました。
妙楽寺貿易という言葉が残るほど、中国との貿易が盛んに行われていたそうです。
檀家制度は江戸時代になってからできたもので、それまでは、寺も自ら経営を行う必要が
あったそうです。
墓所には、博多商人三傑の一人、
神屋宗湛屋や、博多の豪商で
鎖国の禁を破り、処刑された
伊藤小左衛門一家の墓があります。
どちらも、びっくりするほどの大きな立派な墓石です。
戦国時代に博多の町屋焼失とともに、妙楽寺も焼失。
黒田藩に移り、博多の復興と共に、現在の地に移されました。
名古屋名物として知られるういろうのルーツが、博多にあったとは!
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