小倉祇園太鼓

よかろうもん!

2007年07月24日 23:54



小倉で開催されている小倉祇園太鼓を見に行ってきました。

仕事で何度か行く機会はあったのですが、小倉の町をぶらぶらするのは初めて。
北九州観光ボランティアの方が案内をして頂けるとのことで、
小倉駅から、主会場である小倉城までの道のりを案内して頂きました。

まずは、小倉駅。



1891(明治24)年に開業。開業当時は、今の場所から少し離れた現在の西小倉駅付近に
位置していたそうです。1958(昭和33年)年に現在地に移転し、現在の駅舎は4代目で
1998(平成10)年に改築されたそうです。地上14階、地下3階の立派な建物。
モノレールも乗り入れし、南北を貫く大きな通路や、ショッピングゾーンや、ホテル、
伊勢丹などとの連結した階上の大きな通路など、博多駅以上に、多機能で利便性に
優れた駅に感じました。

博多駅は現在改装中ですが、どんな感じの駅になるのか楽しみです。



これは、駅前にあった森鴎外の住居跡の碑。

碑には、この碑の南25メートルの場所にと書かれてるんですが、小倉駅の建替えに
伴い、この碑も移動され、この碑がある場所が実際に住居があった場所だそうです。



これは、伊勢丹付近にある参勤交代往還路の案内です。

小倉は、本州へ船で渡る際の九州の出入り口の拠点。諸大名が参勤交代で江戸に向かう
際の道だったそうです。(ほんとは、もう少し詳しく聞いたのですが・・・。)



これは、常盤橋。

江戸時代、小倉には、長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往環の五街道が
あり、この常盤橋がその起点だったそうです。伊能忠敬が九州を測量する際の始発点も
ここで、近くにその記念碑がありました。

現在の橋は、長さが85mもある木造の橋で、橋げたには強度があるアフリカ産の
ものを使用したそうです。



これは、小倉県庁跡の建物。

明治4年11月から、明治9年4月の福岡県に合併されるまでの4年間、
ここに小倉県庁があったそうです。



小倉城です。

関ヶ原の戦いの功労で細川忠興が入国。1602年に築城されたもので、
最上層が下層より張り出した4層5階の天守が特徴だそうです。

細川家が、1632年に熊本に転封された後は、譜代大名の小笠原忠真が入国。
15万石と石高は少ないものの、九州諸大名の監視役という特命を幕府から
受けて入国で、大きい権力を持っていたそうです。

そんなこんなの話を聞きながら、楽しく主会場である小倉城まで着きました。

で、小倉祇園太鼓!

細川忠興公が、城下町としての繁栄のために祗園社を創建。
その祇園社(現在は、北の丸に位置する八坂神社)に対する奉納神事として
祗園祭が始まったと云われているそうです。




メインイベント会場の小倉城です。
威勢良く太鼓を打ち鳴らしながら、飾り付けられた山車が次々と登場。
企業や町内会など、約80の団体が参加したそうです。



安川電機によるロボット太鼓も登場。

太鼓は両面打ちで、表と裏とで、皮の張り方の強さが違い、甲高い音や
鈍い音が出せるように工夫されているそうです。




博多の祭りとは、また味わいが違いましたが、
子供から大人まで参加している人が楽しでる表情は同じで、楽しいお祭りでした。

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