2006年06月15日

元寇防塁

元寇防塁
西新から藤崎に向かう昭和通り沿いに、面白い名のバス停があります。
「防塁前」です。バス停を降り、海に向かって小道をしばらく歩くと、
史跡元寇防塁があります。

元寇防塁、ご存知ですが?

今から約700年以上前の13世紀、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの
孫のフビライハンが元を起こすと、元は日本に使者を送り、通交を求めて
来ました。( かのマクコポーロが日本のことを、黄金の国ジパングと
して紹介しており、フビライハンはとても日本に興味があったそうです。)

時の日本は、鎌倉時代。執権北条時宗は、元から使者を相手にせず、要求を退けると
1274年、元は軍船900艘、兵員2万8000人を日本に差し向け、攻撃を仕掛けて
きました。今津や百道に上陸し、赤坂、鳥飼、箱崎などで激しい戦いを繰り
広げたそうです。文永の役といい、元軍の集団戦法や、鉄砲、毒矢など、
当時日本では想定外の戦力に、日本は苦戦し、水城まで退却させられました。

攻勢だった元軍ですが、夜、軍船に引き上げた際に博多湾に吹き荒れた
暴風雨に軍船の大半が沈没し、姿を消したそうです。

幕府は、元の再度の来襲に備え、九州の諸大名に防塁(当時は、石築地(イシツイジ)と
いった)を 築くように命じ、各藩が分担して、博多湾沿岸の約20kmに渡り、
防塁を築き、分担地区を警備しました。

1281年、元は、軍船4500艘、兵員14万人の大軍で、再び攻めて来ました(弘安の役)
が、防塁や武士の応戦で上陸できず、元軍は待機中の博多湾で再び暴風雨にあい、
多くの軍船が沈み、引き上げたそうです。

元寇防塁の石塁は、西新以外でも今津、今宿、生の松原、姪浜、藤崎、地行、箱崎
などで見られます。

 ・今津
元寇防塁元寇防塁

 ・生の松原
元寇防塁元寇防塁

 ・藤崎
元寇防塁

 ・西南大学内
元寇防塁

搬送手段の少なかった当時に、これだけの石を運搬し、石塁を築くことは
大変な労力を要したと想像されます。当時の人々の苦労と、2度の神風が
吹かなければ、今の日本は日本ではなかったかも知れません。
史跡を眺めながら、そんな思いで、感嘆にふけってしまいました。

ちなみに、博多界隈は、博多小学校から石塁と考えられるものが見つかって
いますが、ほとんど残っていません。福岡城を築く際に、黒田の殿様が使って
しまったそうです。



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Posted by よかろうもん! at 01:44│Comments(2)歴史・神社・仏閣
この記事へのコメント
 太宰府の九州博物館から翌日行きたいが、今津は車がないと不便ですね。
Posted by 駿 at 2007年10月24日 18:57
駿さん

コメントありがとうございます。

そうですね。 今津へは車以外の交通手段で行くのは厳しいです。
場所もわかりにくいし、折角の貴重な史跡なのに、旅行者にとっては
不便ですよね。

生の松原は、駐車スペースすらありません。

なんとかせねば~。

元寇防塁に関して興味をお持ちであれば、福岡県庁近くの東公園内に、
元寇防塁記念館があります。九州国立博物館からのルートとしては、
こちらなら行き易いかと思いますが・・・・。

でもやっぱり現物を見るのが、迫力も感動もありますよね~・。
今津や、生の松原、ぜひ一度見てもらいたい史跡なんですが・・・。
Posted by よかろうもん! at 2007年10月25日 00:06
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