2006年06月24日
豊国神社
奈良屋町の博多小学校近くにある豊国神社です。
神屋宗湛屋敷跡にあり、博多復興の力添えをしてくれた豊臣秀吉を祀っています。
島井宗室、大賀宗白とともに、博多商人三傑の一人である神屋宗湛は、
九州平定のために箱崎に在陣中の豊臣秀吉に願いでて、戦乱で焦土と化した
博多の復興に尽くしました。宗湛は、屋敷内に秀吉の霊を祭り、その恩に
報いたのが、この豊国神社とのことです。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉は"太閤町割り"と言われる区画整理を行い、
博多の町づくりを行いました。東は御笠川、西は博多川を境に、市街は十町
(約一キロ)四方と定め、幹線道路を東西に三本、南北に四本走らせる。
その一区画を「流れ」としたそうです。博多どんたくや、山笠で耳にする流れと
いう町組織は、この町割をベースに、数度の変遷を経て、今の7流れになっています。
太閤さんとして、秀吉は、現在でも親しまれていますが、当時は絶大な人気で
各地に豊国神社が作られたようです。その人気ぶりに恐れをなした徳川幕府は、
豊臣家滅亡後にほとんどを取り潰してしまったらくし、博多に残っているのは、
異例のようです。豊臣秀吉が博多に入った6月10日に、毎年、豊国神社にて
「博多復興記念祭」が行われているそうです。
参考サイト)
・西鉄の山笠のページ
・石村萬盛堂の歳時記 Vol8
博多の町づくりを行いました。東は御笠川、西は博多川を境に、市街は十町
(約一キロ)四方と定め、幹線道路を東西に三本、南北に四本走らせる。
その一区画を「流れ」としたそうです。博多どんたくや、山笠で耳にする流れと
いう町組織は、この町割をベースに、数度の変遷を経て、今の7流れになっています。
太閤さんとして、秀吉は、現在でも親しまれていますが、当時は絶大な人気で
各地に豊国神社が作られたようです。その人気ぶりに恐れをなした徳川幕府は、
豊臣家滅亡後にほとんどを取り潰してしまったらくし、博多に残っているのは、
異例のようです。
「博多復興記念祭」が行われているそうです。
参考サイト)
・西鉄の山笠のページ
・石村萬盛堂の歳時記 Vol8
Posted by よかろうもん! at 23:46│Comments(1)
│歴史・神社・仏閣
この記事へのコメント
6月10日の「博多復興記念祭」についての問い合わせが、続いています。
過去に生誕400年祭を地元の有志でされたことはありますが、現在毎年「博多復興記念祭」なるものは行っておりません(神社に確認しております)ので、この部分については訂正削除をお願いします。大変迷惑をしています。
今後記載の際には、事実関係を確認してからアップしてください。
奈良屋公民館
過去に生誕400年祭を地元の有志でされたことはありますが、現在毎年「博多復興記念祭」なるものは行っておりません(神社に確認しております)ので、この部分については訂正削除をお願いします。大変迷惑をしています。
今後記載の際には、事実関係を確認してからアップしてください。
奈良屋公民館
Posted by 奈良屋公民館 at 2009年06月10日 09:52
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