2006年12月14日
川上音二郎の銅像
上川端商店街の入り口の川上音二郎の銅像が移設されたそうです。
川上音二郎は、1864年、博多に生まれ、自由民権の書生芝居で
世の中を風刺したオッペケペー節で活躍しました。
海外でも日本劇を演じ、劇作をするなど新派劇の創始者として、
貞奴(さだやっこ)夫人とともに、演劇史上に大きな功績を残した
博多を代表する人物の一人です。
約2メートルの小さな銅像ですが、今でも博多の街のにぎわいを、
見守ってくるてる感じがして、なんとなく愛着を感じる銅像です。
前を通る時はいつも眺めていました。
移設の理由は、敷地を提供している福岡銀行 博多支店の
建て替えのためで、今後は母校である博多小学校に移すことが
計画されているそうです。
古門戸町の沖濱神社の敷地内に、川上音二郎誕生の碑があります。
また、承天寺にはとても立派なお墓があります。
すごいでしょ。実際に目にすると、もっとすごいですよ。
本来の墓所は、万行寺らしいですが、以前は承天寺の近くに博多駅が
あり、博多駅から全国に興業に出る後輩たちを見送りたいとの音二郎
自身の遺言で、承天寺にお墓が建てられたそうです。
まだ、見られていない方は、ぜひ。
Posted by よかろうもん! at 22:19│Comments(1)
│観光スポット
この記事へのコメント
東京上野の谷中霊園事務所前に川上音二郎の碑がありますが、そのほかにも港区高輪の泉岳寺にも川上音二郎の碑があります。赤穂浪士の墓所に、なぜ、川上音二郎の碑がと思いました。
赤穂浪士を尊敬していたからとのことですが、玄洋社の山崎恙三郎の碑があるからではと思っています。
赤穂浪士を尊敬していたからとのことですが、玄洋社の山崎恙三郎の碑があるからではと思っています。
Posted by 浦辺 登 at 2010年04月11日 19:10
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