2006年06月30日
博多祇園山笠
いよいよ、山笠ですね。
山笠の起こりってご存知ですか?
山笠の起こりってご存知ですか?
諸説あるようですが、鎌倉時代の1241年夏に、承天寺の開祖である聖一国師が、
病魔退散のために祈祷し、祈祷修法の施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、それを
町民が棒をつけて担ぎ回ったことが始まりと言われています。
承天寺の入り口には、「山笠発祥之地」と刻まれた碑があり、追い山ならし、
追い山の際には、山笠が承天寺に表敬に訪れます。
ここで、山笠うんちくをひとつ。
「追い山の起こり」
1687年正月に、堅町の若者が、嫁の里帰りで土居町に行った際に、
土居町の若者が、笹水(手桶に入れた祝い水)を掛けたことがもとで、
大喧嘩となった。その場は、収まったものの、恨みの残る堅町の若者
たちが、その夏の山笠の際、東長寺の広場で昼食中の三番山の土居町を、
四番山の石堂流は、食事を抜いて、追い越そうと三番山に迫ったため、
追いあいとなり、それにつられた他の山笠も走り出した。
この事件は、面白かったことから、その翌年から「追い山笠」が
はじまったとのこと。
今では、勇壮な追い山のおこりが、こんなことだとは。
病魔退散のために祈祷し、祈祷修法の施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、それを
町民が棒をつけて担ぎ回ったことが始まりと言われています。
承天寺の入り口には、「山笠発祥之地」と刻まれた碑があり、追い山ならし、
追い山の際には、山笠が承天寺に表敬に訪れます。
ここで、山笠うんちくをひとつ。
「追い山の起こり」
1687年正月に、堅町の若者が、嫁の里帰りで土居町に行った際に、
土居町の若者が、笹水(手桶に入れた祝い水)を掛けたことがもとで、
大喧嘩となった。その場は、収まったものの、恨みの残る堅町の若者
たちが、その夏の山笠の際、東長寺の広場で昼食中の三番山の土居町を、
四番山の石堂流は、食事を抜いて、追い越そうと三番山に迫ったため、
追いあいとなり、それにつられた他の山笠も走り出した。
この事件は、面白かったことから、その翌年から「追い山笠」が
はじまったとのこと。
今では、勇壮な追い山のおこりが、こんなことだとは。
Posted by よかろうもん! at 21:53│Comments(0)
│祭り
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